ABOUT
わたしについて
新しいことをはじめると、いまも戸惑います。
うまくいかないことのほうが、多いくらいです。
でも、前ほど怖くなくなりました。
むかしは、空を飛んでいました。
いまは、本質のコンパスという小さな場を、膨らませていきたいと思っています。
人と話したり、一緒に考えたり。
何があってもなんとかなるわい——
そう自分を信じられる気持ちが、広がってくれると嬉しいです。
空にたどり着くまで
航空大学校を出た年に、石油ショックが来ました。
航空業界の採用が、ぜんぶ消えました。
教官には「三年待て」と言われました。でも、待てなかった。
商社に入って、カセットテープとビデオテープを売っていた時期があります。
それでも空への気持ちがおさまらず、会社を辞めてヘリコプターの免許を取りました。
テレビ局の取材機に乗って、日航123便の事故現場の上空も飛びました。火山の噴火も見ました。
最後にたどり着いたのが、JALのDC-9の機長席です。
遠回りの末に、ようやく、という感覚でした。
ラストフライトのなかった退職
2010年、JAL破綻。
早期退職を決めました。
ラストフライトの十日前、下垂体腫瘍が見つかりました。
最後の飛行は、できませんでした。
「JALの小野さん」として生きてきて、
「小野和彦として生きる」というのが、どういうことなのか、わからなくなりました。
放射思考、読書術、コーチング、記憶術、催眠療法、体操——
いろんな資格を取りました。取っても取っても、何も変わらない。
飛行機があって、お客さんがいて、チームがいて、はじめて自分が生きる。
そのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
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いまも途中にいる
toiee Lab で「学び方そのもの」を学びはじめて、十四年になります。
悩んでいる後輩に、学びかたに意識を向けるとグッと楽に成長できることを伝えたくて、
パイロット向けのメンタルサポートで、延べ1,500人と話しました。
訓練がうまくいかない、フライトで悩んでいる、部下との関係で迷っている——
悩みに来てくれる人の多くは、真面目で、努力家でした。
そのうちのひとりが、機長昇格審査に二回落ちたあとに相談に来て、
私のセミナーを受け続けてくれて、自分で動いて、半年後に合格しました。
わたしが何かを教えたわけではありません。
彼が、自分で学んで、自分で変わっていきました。
このエピソードは、私の宝物です。
そして、いま
AIに出会いました。
すごい世界が広がり出しました。
自分が欲しい、こうしたいが形にできる世界になりました。
まだまだ発達していくでしょう。
コンピュータの世界は知らないことだらけです。
ウイングフォイルは、まだ転びます。
いくつになっても、新しいことをはじめると、やっぱり大失敗します。
でも、前ほど怖くなくなりました。
何ができるかでも、何者かでもなく。
人と関わり、小さな変化を感じながら生きること。
ここに落ち着くまでに、ずいぶん時間がかかりました。
まず、話してみませんか
話してみたいことがあれば、どんなことでも。